お月さまいくつ

オタクの日記

小説版はウォルターの可愛さが増しに増してる『エイリアン:コヴェナント』、小説と映画の気になる相違点

 

エイリアン:コヴェナント

Ridley Scott 『Alien:Covenant』 (2017)

 

 

一回目の鑑賞で心を童心に返してくれた『エイリアン:コヴェナント』。その後、小説を読んで2回目の鑑賞に行ったけど、やっぱりすごく好きだった。事前に小説を読んでいたこともあって、セリフに関しても「ああ、ここはこういう意味で言っていたんだな」と余裕を持って鑑賞できた。もちろん、推しのアンドロイドたちもじっくり観察できて満足!1度面白いと思った映画は、どれもちょっとした謎や不可解なセリフを残していくから、2回目は別の楽しみ方ができたりする。

 

 

 

小説版『コヴェナント』

 

内容はほぼ映画と同じ。エイリアンとの戦闘も映画と同じだけある。ただ映画では省略されていたセリフがたくさんあるので、映画でとくに気にしていなかったセリフなんかも小説を読むことでピンときたりする。

そして小説を読んでなによりも嬉しかったのが、ウォルターとダニエルズのやりとりが映画より多く描かれていること。あまりの可愛さに悶え苦しんだよ。

以下、自分が気になった映画と小説の違いについてまとめる。

 

 

 

 

ウォルターのダニエルズへの想い

 

映画ではダニエルズを助けたウォルターを見て「あれは愛だ」とデイヴィッドが指摘するが、ウォルターは否定し「職務だ」と言う。その後ウォルターの本心などは分からないまま話が進むが、小説ではウォルターはダニエルズと関わることで今まで経験したことのない感情(状況)に対して戸惑ったり、自分自身に対して疑問を持ったりする。そして、ダニエルズに触れることは自分に喜びをもたらすと気づく。

そうとなれば、ウォルターにはもっとダニエルズと触れ合って欲しかった!それもひとつのプログラムなのかもしれないけれど、ダニエルズに触れたときに喜びを感じるという純粋さは本当に美しく愛おしいよ。

 

 

 

 

アンドロイドの創作

 

独立心の強いデヴィッドをみて人々は不安を感じたため、後続のアンドロイドには複雑さを持たせなかった。そのためウォルターはデヴィッドのように創造することはできない。映画ではここまでだけど、小説ではデヴィッドから貰った笛を使ってウォルターはまったく新しいメロディを作ってみせる。「創造はできなくても学ぶことはできる。うまくいったものを残し、失敗を捨てる。実習が発見に繋がる」と励ますダニエルズの言葉があってこそだった。この言葉は人にも通ずるものがある。今の時代完全なオリジナルなんてものはない。何かしらの影響や様々なことから得る知識や経験、それらが今までの人生で培ってきた価値観や本来持つ特性と上手く組み合わさることによって新しいものが出来ると思う。

 

 

 

 

 デヴィッドの最後の問い

 

映画のエンドでは休眠ポッドに入ったダニエルズが「オルガ6はどんな惑星だと思う?」と聞くシーンがあるが、小説では逆で、デヴィッドがダニエルズにこの質問をする。ここではまだデヴィッドがウォルターに成りすましているとは気づいておらず、考え込む表情のデヴィッドにダニエルズは微笑んで答えを与える。

この小説のシーンは、事前に映画では描かれていないデヴィッドとダニエルズのコヴェナント号での会話があったからだと思う。未知の惑星からやっとのことで脱出し、落ち着いて会話も出来るようになった際だ。ウォルターに成りすましたデヴィッドにダニエルズは、アンドロイドとの共存を望み、なによりも必要なのは知性だと答えるシーンがある。彼女の答えを気にったデヴィッドは、まだ自分のことを知らないダニエルズに「あなたならデイヴィッドを変えられたかもしれない」と言う。

このシーンは映画『コヴェナント』が今後どのようにシリーズ展開していくかによって必要なのか、そうではないのか判断する基準になったのでは?と考えた。だって自分にはとても重要なシーンのように思えたから。

デヴィッドがダニエルズに答えを求めることによって、オルガ6で自分が何を求めるのかということが多少、変わるかもしれないシーンのように思えた。それでもデヴィッドは自分の夢を叶えるために動くだろうけれど。彼はダニエルズに自分の期待した通りの回答が返ってくるのか、最後の最後で興味が湧いたのかもしれない。そして彼女の答えに満足した。満足したというよりも、わたしはこのシーンからデヴィッドが安心感を得たのではないかと想像した。何もかもが満ち足りたという安心感だ。